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クラマスフォールズ(、 )は、アメリカ合衆国オレゴン州クラマス郡に位置する都市であり、同郡の郡庁所在地である。2010年国勢調査での人口は20,840人である。1867年に町が設立されたときには、町中にある滝の本流であるリンク川に因んで「リンクビル」と名付けられていたが、1892年に現在の名前に変えられた。 == 歴史 == クラマスフォールズとなった地域の最初の住人はクラマス族やモドック族インディアンだった。クラマス族はこの地を「ユラロナ」あるいは「イワウナ」と名付けており、これは南風が吹くときにリンク川が上流に向かって流れる現象を指すものだった。この川にある滝は「ティウィシュケニ」と呼ばれ、「落ちる水が押し寄せるところ」という意味だった〔Name of Tiwishkeni 〕。 モドック族インディアンの本拠地は現在のクラマスフォールズの南約20マイル (32 km) にあるが、敵対者であるクラマス族と共にインディアン居留地に押し込められたときに反乱が起き、彼等は近くにあった溶岩流の跡地に隠れた〔Hell With the Fire Out: A History of the Modoc War by Anthony Quinn〕。このことで1872年から1873年にかけて起こったモードック戦争となり、アメリカ騎兵隊が当時としては推計50万ドル、2000年価値で800万ドル以上になる費用を掛けて鎮圧に当たった。この戦争でインディアン17人と白人83人が殺された。 1846年、オレゴン・トレイルを通ってくる移民のためにより安全なルートを確保することを目指して、クラマス地域の下流側を東西に通るアップルゲイト・トレイルが切り開かれた〔Applegate Trail 〕。 1906年に始まったクラマス開拓プロジェクトは湿地の水を排出し、農業用に水を使えるようにするものだった。主たる"A"運河の建設により、1907年5月22日に最初の水が使用できるようになった。この開墾された土地には第一次および第二次世界大戦の退役兵が自分の土地を持つ機会を与えられた。 第二次世界大戦中、日系アメリカ人強制収容所であるトゥール湖戦時移住センターが近くのカリフォルニア州ニューウェルにあった。また戦争捕虜収容所であるキャンプホワイトの支所は、カリフォルニア州トゥールレイクの町に近いオレゴン州・カリフォルニア州州境にあった。1945年5月、クラマスフォールズの東約30マイル (48 km)、オレゴン州ブライの近くで、日本軍の風船爆弾によって教会に行っていた女性1人と子供5人が殺された。これは大戦中に日本軍がアメリカ合衆国本土に及ぼした唯一の損失だと言われている。 20世紀前半の数十年間はクラマス郡で鉄道を利用した木材の伐採搬出が広範に行われた。1909年にサザン・パシフィック輸送会社の線が通り、クラマスフォールズは人口数百人から数千人にまで急速に成長した。多くの製材所がモミやマツ材を製材し、その繁栄は1980年代にニシアメリカフクロウ (Northern Spotted Owl) など絶滅危惧種の存在が西部の林業政策を変えさせるようになるまで続いた。 1993年9月20日、地震がクラマスフォールズを襲った。中心街の郡庁舎や元セイクリッド・ハート・アカデミー・アンド・コンベントなど多くの建物が全半壊した。この地震に起因する死者は2人だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クラマスフォールズ (オレゴン州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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